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オダックス埼玉、気の向くまま自転車、ブルベあれこれ。 2008年9月からオダックス埼玉は清水班が加わってパワーアップ。 日本の公認ブルベは'02年に静岡県掛川市で始まりました。当時から掛川でブルベを走っていた埼玉を中心に東京、神奈川に住む参加者が自然発生的に埼玉県内で集るようになり、「自分たちの遊び場は自分たちで作ろう」と、'04年6月にAJ(当時はRJ)埼玉を発足。05年11月AJ埼玉からオダックス埼玉へ名称がかわりました。メンバーは6名、代表・妻神邦昭、広報・小倉清、データ作成・納見謙一、コース企画・泉浩司、会計兼写真班・山口哲生、ウエブ担当・白木緑。「とにかく走る」をモットーに公認ブルベ以外にも、200km以下の走行会や1000km以上の練習会を行っています。 カテゴリ
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糸魚川が終わった。
オダックス埼玉は出走5名とサポート泉さんの合計6名チーム。 私は別のチームでの参加だったが、すでにサポートは決まっていたので、埼玉サポートカーに無賃乗車した。 行く先々でコーラや果物差し出したり、、、、 「こんなことしてもらったら後がコワイ」だって 糸魚川参加チームに自前サポートカーを出すことを義務づけられたのがいつ頃だったかは忘れた。現在も義務づけかどうかはわからない。最初の頃は、参加者も少なくリタイヤする人があまりいなかったので、主催者が回収、事故対応していたが、参加者増加とどもに手に負えなくなり参加チーム自身で対処することになったのだ。 クルマでサポート参加したのは初めてである。 ブルベならスタッフすることはよくあり、自分が走らなくてもそれほど違和感はない。でも、糸魚川ではクルマからみんなを応援するのはヘンな気がした。 合う人ごとに「なんで走らないの?」と同じことを言われた。 毎年ソフトクリームのサービスをしているアスペンのマスターは クルマの中にいるのを見て、 「似合わないよ」と言い残して走り去った。 でも、走っているとわからないことも見えたのがおもしろかったし、いろんな人たちを応援できて楽しかった。 埼玉ブルベでお馴染みの近藤さんは総合2位。チェックポイントでほんのちょっとサポートしただけなのに、完走賞を持ってお礼にきてくれたのがものすごくうれしかった。自走で帰るので賞品のカニまでもらってしまった。このカニも新潟から参加しているチームが毎年提供している。帰りのバスから近藤さんとコウタロウが走っているのが見えた。カッコ良かった。 糸魚川は信号無視、事故など問題もたくさんある。批判も多い。 だけど、批判するだけなら簡単だ。 最近は少しずつマナーも良くなってきた。 それは、百哩大王など参加チームがいろいろ考えて、 地道に努力を続けてきた結果だと思う。 今でこそ、ブルベなら300kmどころか400km、600km走れる。 しかし、糸魚川は37年前からずっと300km走らせてくれているのだ。 私が糸魚川に参加し始めた25年ほど前には300kmどころか200kmもなかった。 実行委員長は代替わりしたが、最初からのメンバーが今でもスタッフをしている。 明治大学自転車部の運営費捻出という目的もあるが、 それだけではこれだけ長く続けられるものではない。 要するに、みんな自転車が好きなのだ。 自分たちの遊び場は自分たちで作る。 糸魚川はそれを最初に教えてくれた。 ブルベもその点は同じである。 やっぱり今年も糸魚川に行って良かった。 来年は何としても復活したい。
by audax_saitama
| 2008-05-19 10:59
| shiroki
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