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オダックス埼玉、気の向くまま自転車、ブルベあれこれ。 2008年9月からオダックス埼玉は清水班が加わってパワーアップ。 日本の公認ブルベは'02年に静岡県掛川市で始まりました。当時から掛川でブルベを走っていた埼玉を中心に東京、神奈川に住む参加者が自然発生的に埼玉県内で集るようになり、「自分たちの遊び場は自分たちで作ろう」と、'04年6月にAJ(当時はRJ)埼玉を発足。05年11月AJ埼玉からオダックス埼玉へ名称がかわりました。メンバーは6名、代表・妻神邦昭、広報・小倉清、データ作成・納見謙一、コース企画・泉浩司、会計兼写真班・山口哲生、ウエブ担当・白木緑。「とにかく走る」をモットーに公認ブルベ以外にも、200km以下の走行会や1000km以上の練習会を行っています。 カテゴリ
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1年1ヶ月ぶりで走りました。
予想はしていたがひどいものだった。 まず、10kg以上太ったからだで着られるジャージがない。 しかたなく、夫の上下一式を無断借用。 久々に秋ヶ瀬公園に埼玉ジャージ集合。 故障者ばかりの埼玉にあって、 一人元気な山口さんから、 「SからXL? 3サイズアップじゃないっすか。食事制限すべし」 と戒めのお言葉頂戴。 心拍計もスピードメータもなし。 20km/hのんびり走行なのにも関わらず、15kmほど走ったところで、 頭が白くなって自販機で休憩。 「年は関係ないッスよ」 と、またまた山口さんのありがたい一言。 そう、レースに出ようっていうんじゃないのだから、 年は関係ない。 ただ、年をとるほどいったん中断すると、 その後元に戻すのは時間がかかる。 納見さんが頷く。 「体をまったく動かさない53歳のいオバサンが いきなり自転車に乗るとこうなるんだね」 と、思わずもらしたら、 「自分でオバサンと認めちゃっていいんスっか」 と再び山口さんの突っ込み。 7年前にブルベを始めてから当たり前のごとく毎年SR、 最近はダブルSRも普通、 北海道200に出るために900km走っていこうと みんなを丸め込んだかつての私はいない。 「体力のないただの53歳のオバサン」 復活への第一歩はこの現実を受け入れること。 で、復活への道、初日は荒川近くの榎本牧場でアイスを食べて、 山田うどんで昼食、最後に浦和のバイクショップへ行って、 夕方解散。 走行距離40km。 ブレーキパッドを持った姿勢を維持できない。 尾てい骨が痛い。 足を回す、走るなんて以前に、動かない。 5mくらいのちょっとした坂がまるで秩父の高幡不動どころか、 奥多摩・風張林道キノコセンター手前の檄坂に思えた。 足と手が震えて立つことさえできなかった。 立ち寄ったバイクショップで泉さんの友人が、 「ブルベに出たいけどまだムリ」 と言っていた。 「本人にその気さえがあればだれでも600kmだって完走はできますよ」 山口、泉、納見さん、軽くいった。 おこがましくも、40kmで終わっている私も頷いた。 もう、ドクターストップは嫌なので、 今度はもっと自分のからだとうまくつきあって、 目標は2年後に楽しく気持ちよく走れるようになること。 昨夜は391日振りに走行記録を付けた。 「普通じゃ、こんな近くでアイス食べにわざわざ行かないし、 今日は楽しかったね」 と、わずか40km走行にも関わらず丸々一日付き合ってくれた埼玉メンバーには改めて感謝であります。こんな私が200、300、400、600、1000と走れるようになれば、ホントにどんな人でも走れるってことでしょ。まずは、忘年会アタックを走って宿にたどり着かなきゃいけない、、、、難関であります。
by audax_saitama
| 2008-09-08 11:41
| shiroki
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